②想いと氣分はちがうもの

 私がここで使う

氣分という言葉の意味は、

他人様や出来事に対して

 

 

 

嬉しい

楽しい

氣持ちいい

やった!

好き

嫌い

腹が立つ

何なの?

 

 

 

などのように

反応する感情の動き

のことです。

 

 

 

 

 

対して

想いというのは

その感情の動きが起こる

源泉となっている

 

 

自分の深いところに

ずっと持ち続けている感情

といえます。

 

 

 

 

何があってもなくても

誰かが何かを

言っても言わなくても

あなたの中にある想いです。

 

 

 

 

 

それに氣づかせ

受け入れ

一つになるために

 

 

 

物事や人に対して

強く、反射的に

感情が動きます。

 

 

 

 

 

だから氣分と想いは

切っても切れないし

どちらも大切なのです。

 

 

 

 

ただ、

自分と向き合うときに

氣分と向き合って

混乱してしまうことが多いので、

改めてここに書きました。

 

 

 

 

 

この氣分を

自分の想い全てだと

勘違いしてしまったときに

 

 

 

私たちは

感情の起伏に疲れ、

生きづらさを

感じるようになります。

 

 

 

 

そして

自分と向き合おうとしたときに

「これ以上なにも分からない」

と迷路に入ってしまうのですね。

 

 

 

 

でもね、

それは入口に立てているのに

先に進んでいないだけなのです。

 

 

 

 

だから大丈夫ですよ!

 

 

 

 

入口にいるのだから

その先に道があります。

 

 

 

そこに進むだけです。

 

 

 

 

ですからまず

 

 

氣分と想いは

自分の感情ではあるけれど

違うものなのだ

 

 

ということを、

覚えておきましょう!